おなかへった

全部フィクションだから心配しないでね。

かわいそうね

 

 

 少女漫画の主人公になりたい。仕事疲れて泣いちゃったら、同じバス停で普段無口な同僚に頭ぽんぽんされたい。いつもは優しくて頼りになるお兄ちゃんみたいな先輩にやきもち妬かれていじめられたい時だってある。なんで世の中は1つに絞ることが正当化されているんだろう。こんなにいっぱいあるのに1つに選べないよ。人生映えたい。SNSに載せたい。あの子より幸せでありたい。勝ちたい。いちごたっぷりのパンケーキだって、夜景の見えるレストランでコースだって食べたい。でも時々は2分30秒まで待ってインスタントラーメンだって食べたい。

 

 テーブルの上には、カレーがこびりついた白い容器が2つと、男が半分以上残った缶ビール、私が飲みきったチューハイ缶。さっきまで一緒にいた男は彼女からどこにいるの?と電話がかかってきて職場だよ〜〜なんて言って帰っていってしまった。

 

手持ち無沙汰な左手が宙を舞ったのでスマホを手に取る。退屈。人生は退屈。 ツイッターをスワイプして消したのにまた開く。しゅぽんとサイダーの瓶を開けるみたいな音と共にタイムラインを更新したが新たなツイートは出てこない。あーあ。つまんないな。本当に楽しかったり幸福な時間こそ誰もSNSを更新しない。目の前にいる人間の瞼に映った自分自身で満たされるのよ。今流行りのカメラアプリで自撮りをする。チューハイを手に取る。首をかしげる。カメラに向かって微笑む。かわいい。私の顔は今日もかわいい。「一人でおうちで飲んでる〜〜酔っちゃったあ😖❤️❤️」写真を添えてツイッターに投稿する。最近よくうちにくる男からいいねがつく。

 

 しゅぽん。しゅぽん。

 

 新たなツイートが流れてくる。一番仲よかった地元の女友達だ。娘がもう1歳になったらしい。仲良い女友達がみんなもう結婚してしまった。自分ひとりだけ取り残されてしまった。大学生の時に付き合っていた彼氏の顔が思い浮かぶ。なんの面白みもなかったしえっちも下手くそだったけど、あの人と結婚しておけば私今頃ちゃんと満たされてたのかな。来月私はもう32歳になる。女の子の執行猶予期間でちゃっかり生きてきた。

 

 「みくさん」とさっき私の投稿にいいねした男からのラインの新着メッセージが画面に映し出される。「今から家に行っていい?」男が家に着くまでは大体20分程度だろう。

 

 うーん。ちょうど寂しかったし、会いに来てもらおう。そうしよう。立ち上がって部屋を見渡すと彼女のもとに帰った男が吸ったKENTの吸い殻が灰皿に残っていたのでキッチンの方のゴミ袋にいれて捨てる。「わかったよー!はやくきて」と返信する。体だけ洗ってジェラピケのパジャマに着替えようかなと立ち上がるとインターホンがなった。

 

 たった今会いに来ていいとラインしてきた男が立っている。来るの早いなあ。そういえばこの男の新しい彼女と最寄駅が一緒だったんだっけ。まあいっか。

「早く会いたくて瞬間移動しちゃった。」そう言ってナイキのスニーカーを脱ぐと「みくさん。やっぱりかわいい。」と名前を呼びながら手を繋いできた。

 

 あー、みくやっぱりこの人がすき。みくの言いたいことを言ってくれる。みくのことお姫様扱いしてくれる。今お気に入りの漫画のヒロインが片思いしている男の子にどこかしら似てる。みくの欲求全部満たしてくれる。一緒にいるときは。この男にも彼女がいるし、みく以外の女の子にもきっとこうやって優しくしてるんだろうな。なんでこの人もみくのものにならないんだろう。ずっとみくのことだけ考えて欲しい。みくがそっちみてない時もずっとみくのこと考えて欲しい。みくのことで悲しくなって死にたくなったり、逆に嬉しいことがあったときみくのために生きようって思って欲しい。この男の人生の感情の全てになりたい。でもみくの全ては誰かたった一人になってほしくない。そんなんじゃつまらないから。

 

 繋いだ手が離れる。生ぬるい感覚が左手にそっと残る。男の手がスーツの胸ポケットに伸びる。

 「たばこ吸っていい?」 とテーブルのそばにある灰皿を見つめながら男がつぶやく。「いいよ。」手に残ったぬくもりがだんだん冷え切っていく。誰かとくっついていないと離れた瞬間またひとりぼっちになった気になる。寂しい。

「ありがとう。てかみくさんたばこ吸わないのになんで灰皿あるの?」

 

 なんでだっけ、何処かの誰かが昔置いてったものだった。誰だっけ。もう思い出せないや。

 

 「だっておうちにいっぱい来て欲しいから灰皿買っちゃったんだよお。」首を傾げて答える。私の一番一番かわいい顔の角度。ねえもっとみて。もっとみくのこと好きになって。ときめきなんてただのコピペだ。漫画でドラマでみた誰かの台詞と行動を私が代わりにしてるだけ。男が目を細めてたばこを灰皿に置く。そっと立ち上がってみくのことを抱きしめた。煙はもくもくとあがったままだ。でもきっといつか消える。このたばこが着火剤になって火事でも起こらないかな。

 

 みくやっぱりこの人のことだいすきだ。いつだって目の前にいる人のことがすき。でもさ、そんなこと口に出さない限り誰にもバレないから神様とみくの二人だけの秘密なの。あなただけだよ、今は。

 

 「大好き。」

 みくはみくのことが大好きだ。男がみくの顔を見つめている。すごい。瞳の中にみくの顔がある。かわいい。みくはやっぱり世界で一番可愛い。この男はただの登場人物Dみたいなものだ。だからもっとときめかせてよ。みくのこと少女漫画のヒロインにしてよ。顎を小指で撫でられるので上を向く。あー、天井にこんな大きな染みあったっけ。みくの部屋の隠れミッキーみたいだな。なんだかやっぱり早く寝たい。明日の仕事もめんどくさいなあ。ずっとこんなこと繰り返してみくは一人で死ぬんだろうな。人生は今日も退屈だ。大学生の元彼と最後にいたあの生ぬるい日を思い出す。「みくちゃんは俺のこと見てる?」ううん。みくはいつだって自分のことだけ見てるよ。だってみくかわいいから。