おなかへった

全部フィクションだから心配しないでね。

熱帯夜

 

 

 名は体を表すなんて、本当なのかな。昔の人の残した言葉は信用ならない。目の前にいる人間の言葉ですら信用できないのに、会ったことない人の言葉なんてますます信じられない。言葉なんて自分の理屈を正当化するただのこじつけだ。

 

 「もうすぐ着くよ。」ゆうちゃんはぐっとスピードを上げる。運転する男の人ってなんでこんなにかっこよく見えるんだろう。ハンドルに添えるように置かれたゆうちゃんの右手をじっと見つめる。手のひらの甲に2つ並んだほくろが愛おしい。ゆうちゃん。優って名前のくせに誰にも優しくないゆうちゃんが世界で一番嫌いで一番好き。

 

ゆうちゃんの好きなアイドルソングが流れる。夏の恋は続かない。そのフレーズを何度も繰り返す。恋。恋恋恋恋

 

 片手運転をするゆうちゃんは左手の置き場を私の右手にしてくれる。薬指にシルバーリングがはめれている。

 ゆうちゃんはいつも通り何を考えてるかわからない。でもゆうちゃんの香水が紅茶みたいな柔らかい匂いだってことはたしかだ。この匂いを嗅ぐだけで胸が高鳴って頭がぐわんぐわん揺れて体が溶けてしまいそうになる。

 

 「着いたよ。」ゆうちゃんがウィンカーをあげて車は右に曲がる。30分で500円。またいつものパーキングだ。ゆうちゃんの家には一度も上がったことがないし、そこから車で40分かかる私の家まで来てくれたことも一度もない。ホテルにだって行ったことがない。駅の近くのあのホテル、あの子と行ったの知ってるよ。ゆうちゃんとドライブしてキスされたとか、ラインで好きって言われたとかそんな話いっぱい聞いてるよ。でも何も知らないふりしてるし私ゆうちゃんの話誰にもしたことないよ。私ほかの女の子たちと違うの。ゆうちゃんのこと本気で好きなの。

 

それでも私は30分500円のワンコインで済む女。そのお金がゆうちゃんにとっての私の価値だ。高い値段を払えば顔の可愛い女の子に当たる風俗の似てる。ゆうちゃんが私にかけてくれる値段が安いのは私が可愛くないから。それでも選んでくれる。私を選んでくれるのはゆうちゃんだけだ。だったら私ずっとこの駐車場でいいよ、ここは私とゆうちゃんの聖地だよ。

 

 「いつものとこに停めるね。」車をバッグするときの警戒音が鳴り響く。この音を聴くと私どうにかなっちゃいそうだよ。はやくしてよ。ゆうちゃん。

 

 いつも通り一番奥の街灯が当たらないところに車を停めるのに、車の窓を閉めてくれないのは彼の意地悪なのかなそれとも気づいてないだけなのかな。車のエンジンを切る。クーラーが切れて一気に車内が生ぬるくなる。シートベルトを外したゆうちゃんと今日初めて目が合う。会いたかった。

 

 ゆうちゃんの体温と香水の匂いで、頭がめちゃくちゃになりそうになる。ゆうちゃんのことで頭がいっぱいになる。もう何も考えられないけどいいよね。だってゆうちゃんは薬物だから私が悪いわけじゃないの。ゆうちゃんの白いTシャツの襟元にくちびるを当てて赤く染める。ごめんなさい、彼女さんと幸せにならないで。私以外の女と幸せになるなら一緒にどこまでも不幸でいようよ。夏の恋なんてはやく終わらせてよ。

 

 暑い。真夏の夜は暑いなあ。ゆうちゃん顔がゆらゆら揺れる。窓が開いているのに風はちっとも入ってこない。少し遠くから若い男たちの笑い声だけが聞こえる。ゆらゆら。こんなに掴み所ないくせに、何も教えてくれないくせに、ゆうちゃんは今日も0.02mm離れてくれない。ゆうちゃんの香水と汗が混ざった匂いが私の頭を真っ白にする。ゆらゆら。ゆうちゃんの目を見つめる。ゆうちゃんはどこを見ているんだろう。ねえ、ゆうちゃん今どこにいるの。ゆうちゃんの一部にはなれないけど、私も貴方もこの夜の一つの点だよ。

 

 ゆうちゃんは赤く染まった襟元に気づかない。この寂しさを打ち消したくて好きだよと言ってみたけど、やっぱり今日も頷きもしてくれなかった。夏の恋は続かない。