おなかへった

全部フィクションだから心配しないでね。

おんなのこ

 

 

 おんなのこになりたい。女の子じゃなくておんなのこ。柔らかくて真っ白で甘いバニラの匂いがして口にいれるとすぐにとけちゃうマシュマロみたいな。儚くて可愛い尊いもの。

 

あんな折れそうな華奢な体だったり、ピンヒール履いてるくせに女の子みんな強すぎる。わかんないふりしたり悲しくて泣いたりするのなんて男の前だけだよ、ばかなふりしてるだけだよ。だってその方がかわいいでしょ。今日もかき氷のシロップ見たいな透明な雫を爪の上に乗せて、自分を守るために生えてきたもの一本一本剃って、ラメたっぷりのピンク色のくちびるで嘘ばっかついてるんだよ〜〜〜〜だって女の子だもん。

 

 初めて恋人と体を重ねた後にトイレで真っ赤に染まった水にぷかぷか浮くクラゲみたいなトイレットペーパーを眺めた日から私だって好きな人の前では女の子だ。頑張ってちゃんと性別使ったんだよ。お気に入りのワンピースもレースの下着もかわいいの装備を外した姿でもかわいくあれたのかな。

 

 ずっと一緒にいたいのに、帰るだなんて言うから寂しくて死んじゃおうかと思った。でも痛いの怖いし辛いの嫌だからやっぱりやめたの偉いでしょ。ほめて。ずっと大好きだから独り占めしたいだけなのに、すきすき言ってたらすぐメンヘラって言われちゃうの恋愛七不思議の1つすぎない?あなたのことしか考えてないのにあなただからこうなってるし真面目の証なんだけどな。バイバイっていう時、相手の口にポテト突っ込んで振り返らずににつかつか歩いたけど、一番近い地下への入り口じゃなくて曲がり角のところまで歩いたのはちょっとでもこっち見て欲しかったからだよ。私が見てなくてもこっちみてね。寂しくて泣いちゃうかと思ったけど、ポテトがなくなる頃にはもう今日に晩御飯の献立を考え始めてた。一緒にいない間は忘れちゃえればいいのに。

 

 

 好きって何回言われても可愛いって何回言われても足りないしすぐ空っぽになっちゃうから、寂しくて寂しくてまた新しいお洋服買っちゃったし、いちご味のアイス買っちゃった。寂しくなった時自分へのご褒美あげすぎて効果なくなった。だから早く会いに来てよ〜〜〜〜〜〜もう一人ぼっちじゃ満たせないよ。今まで何を楽しみに生きてきたか忘れた。えっちしなくても一回ちゅーするためだけに家の前まで来てほしい。

 

 おそろいのものを身に付けてもこの気持ちはおそろいにならないし、私の初めてあげてもあなたは誰かと昔した何かのリピートだし、私がどんなにすきすきいってもあの時あなたの腕の中にいたあのクソ女も生きてるのちょっとよくわかんないし本当は今すぐ死んで欲しい。あの女の子にブスって言ってきてお願い。やっぱりもう2度と関わって欲しくないから何も言わないで早く忘れて私のことだけ考えて。周りにいる女の子みんな大嫌いなんで私じゃないんだろう。普通に可愛いも優しいも楽しいも自分が一番じゃなきゃいやだ。でも二番も三番のいたらやだ。私だけにしてくれなきゃいやだ。ちゅーしてる時幸せだったけど昔ほかの女もこうやって同じことされてるのかって思うと死にたかった。なんで私は一番最初になれなかったんだろう。最初から最後までずっと一貫して私だけのが良かった。結婚しても気持ち縛れないのいやだから、もうふたりぼっちで生きていくためには一緒に死ぬしかない。でもこんな苦しさも悲しさも一人じゃ生まれなかった感情だから出来るだけデコって可愛くして持ち歩きたいな。メンヘラって呼ばないでよね、一生懸命好きなだけだよ。って田舎のおばあちゃんが言ってました。

 

 

 

 

 

 

 

ジーニーさんに叶えて欲しい3つに願い→毎月100万円貯金額増やす、人の目に留まらずひっそりと瞬間移動、私だけ一日28時間 -

 

 

 アラジン〜〜〜〜〜〜ネタバレ含みます。ご理解よろしくお願いします。

 

 映画を見る前に、コマーシャルを見て予習してたんですけど、アラジンがジャスミンに「信じて」っていうシーンがあってハーーーーーーーー?!?!?!ってなったわけですよ。信じてって何やねん。信頼っていうのは、積み重ねていくものなのにたった一言でそれが得られると思うな!言葉に頼るな!男はすぐにさりげないボディータッチをキメる白いニットのワンピースきたゆる巻きパーマの女と隠れてサシ飲みしたくせに信じてって言う!浮気は男の本能だから仕方ないとか言うな!狩猟本能とか言うなら今すぐ森へ行って熊でも倒してこいよ!おい!欲しいのは謝罪じゃなくてお前の性器じゃ今すぐここに捨てろボケカスが〜〜〜〜とか思っていたことをここで謝罪させてください。大変申し訳ありませんでした。

 

 アラジン.....めちゃくちゃよかったです。ヲタクなのであまりに質の良いものを見たとき良かった.....としか言えません。もう一回言っていいですか?アラジン、良かったです。ご静聴ありがとうございました。

 

 

 一番最初にアラジンがジャスミンに「信じて」って言うのは確か家の屋根から飛びうつるとき。ジャスミンが怖がってなかなか足が動かなかったので、飛ばせるために「信じて」って言ったんだろうな〜〜自分が飛べるって思うと飛べるみたいな一種の暗示効果だと思ったし、このアラジンは言葉を巧みに使う人だなというのが第一印象だった。

 でもアラジンがジャスミンを魔法の絨毯で迎えに行って「信じて」って言った時、私の心の中のジャスミンがポポポポポーーーーーンって絨毯の飛び乗っちゃってウケた。私は「信じる」って言葉がそんなに好きじゃなくて、対人関係はその人のありのままを受け入れられたらいいのに、約束っていう自分のこの人にこうなってほしいっていう型に嵌めてそれがボロボロになって壊れたときに裏切られたって言うのあまりのも勝手すぎるから。反対に私も相手の思い通りになりたくないから信じるっていう一見綺麗な言葉を使って私をあなたの枠にはめないでよなんてスカしたことを考えてたの。でも信じてって言葉の価値なんてきっとどうでもいい。目の前に自分の愛おしい人がいる。その人が差し出してくれた手をつかむ時、何か理由とかいるのかな。言葉がなくても心は動く。追っ手から逃げていて屋根に飛び移った時は今いる場所から離れることが目的だったけど、今回のシーンはアラジンのそばのいくことが目的になっていてその対比が二人の愛情とか信頼を表してて美しいなって思った。恋愛、あまり難しく考えなくてもいいのかもしれない。幸せになれるとかなれないとかそんなの考えてもわからないし、好きな人間が差し伸べてくれた手を離すなよ、一生離すなよお前ら。好きだけで突っ走ってもいいのかもしれない。

 

 

 あと魔法の力で王子だと偽るアラジンの本当の自分を受け入れてほしいという気持ちと王子じゃなきゃいけないという心の葛藤......

 好きな人にありのままの自分を受け入れてほしい、でもコンプレックス意識が強くてそれを隠してしまう。でも嘘をつくことの罪悪感〜〜〜〜〜〜!!!!!!みたいなやつな........魔法の絨毯に乗って空を飛んでる時に「本当の僕を見て」って言ったアラジンの気持ち〜〜〜〜〜〜ー!!!!!!!隠せば隠すほど言いずらくなるし罪悪感も積もるけど、まだ先でいいやと後回しにしてしまう気持ち........相手にとって都合の悪い自分も本当は愛されたいし、自分の嫌いなところこそ人に認めてほしいしそこを受け入れてもらいたいよねだって女の子だもん〜〜(女の子って言えばなんでも許されると思っている)

 

 

 ってかもうジャスミン素敵すぎない?綺麗だし聡明だしとにかくめちゃくちゃめちゃくちゃ素敵すぎるジャスミン

 もうとにかくジャスミンが好きすぎてしんどい。今までのフィクションの女性の登場人物の中で圧倒的に好きだ。女性でも、国の王として愛する人民を守りたいという強い気持ち。部下に感情的になるんじゃなくて情に訴えかけるところも、膨大な力を持つ相手にも屈しないところも、いつだって自分の正しいを貫き通す強さがかっこよくてもう最高だった好きです.......

 

 あと欲望にはきりがなくて、人間もっともっとってなるじゃん。願いを三つに収めて且つ最後の一つでジーニーを自由にすることを祈ったアラジン人間出来過ぎでは??????自分のコントロールできる以上の力を手に入れると人間暴走させちゃうね。おだやかに生きたいね。

 

 

 愛とか友情とかそういう形のないけど大切なものが劇中の登場人物を通して目に見えた。見終わった後心に残る質量が圧倒的。さすがディズニーだった。劇中では魔法のランプを扱えるのは綺麗な心を持ったダイアの原石ただ一人だったけど、誰だってひとりひとりがうんと特別だ。わたしもあなたも。魔法はすごい。でも人の心を動かすのはいつだって自分の言葉とか行動だね。魔法のランプがなくても私たち全員自分の願い叶えられるから積極的に声に出してこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜自分が特別だってうんと思えるような幸福な出来事がこれから先の人生あなたにもわたしにもありますようにフォーエバーラブ 

 

 

 

 

 

 

ともだち100人ほし〜〜〜〜〜〜

 

 自分はたまたま女性として生まれた。赤色のランドセルを背負った。セーラ服を着た。膨らんだ胸を守る下着をつけ始めたら月の1/4は下着が赤く染まるようになった。掃除やお料理などの家事もお母さんに教えてもらった。今まで好きになった人はみんな男性だった。

 

  性別欄には女性に丸をつけるし、お手洗いも温泉も女性用を使う。自分の性別は女性なんだと思う。でも日常の生活で性別を使うことって性行為する時だけじゃない?って言ったらみんなに暴論だって言われる。そうかな。恋愛するために誰かと交流してるわけじゃないのにな。たぶんあんまり性別を意識して行動してないと自分では思っているから、自分の性別も目の前の相手の性別も別にどっちでもいい。相手の性別が変わっても性格とか今まであった出来事がなくなるわけじゃないし別にどっちでもいい。

 

 めちゃくちゃ好きな友達がいて、一時期その人の家によく遊びに行ってた。一緒にいる時間の居心地がすっごく良かった。おすすめしてくれる音楽も本も飲食店も全部ハズレがなくて、当たりだけ入ったくじ引きをしてるような、楽しいを当たり前に存在させてくれる人だった。その人のお家でトイレを借りると便座が上がってることとか、使っているシャンプーに書かれた男の頭皮汚れに!っていう禿げかけの文字を見るときだけこの人は男性なのかあ、なんてぼんやり思った。合鍵くれてからはもっといっぱい遊びに行ってた。でも私に恋人が出来て「男」っていう生まれもった性だけでその人と一緒にいることは相手を裏切ることになってしまってその友達に報告と同時に合鍵を返した。その時に教えてくれた曲を今でも聞くけど、もう連絡は取ってないしどこでなにしてるのかもしらない。毎日美味しいもの食べてゆっくり眠ってくれや。

 わりかし好きだった恋人に振られて死んだように引きこもってたらカラオケに連れてってくれた人も、夜中に電話してくれたりラインしてくれたりした人も、美味しいご飯屋さんに連れてってくれてなんでも話せてお土産渡すと感想ラインくれる人も、一緒に企画してくれて弟子みたいにいろんなことを教えてくれるお師匠様もみんな男性だけどそれ以前に人間だしホモ・サピエンスだし大好きだよ〜〜〜〜もちろん女の子の友達だって大事だし誰かとの関係性はその人とどうなりたいかだから性別なんて関係ないしみんな愛してるよ〜〜〜〜その人と二人の時間を積み重ねていったら男とか女とかますますなくなっていって個になる。性別とか年齢とか学歴とかその人を包み込むベールをめくってみるとだんだんその人が見えてきて個に触れた気になる。そんな関係性を性別とか国籍とか何にも関係なく一人一人と築いていきたいな〜〜〜〜人生。

 

 

 

不倫ダメ絶対

 

 

 昨日不倫もののAVを初めて見たんですけど、不倫ってめちゃくちゃめちゃくちゃ辛くてみてて悲しみの嵐すぎた。付き合ってる人が浮気してもまあ悲しいし嫌だけど、旦那が浮気してたらなんかもうはちゃめちゃに悲しいな。他の人とするなら事前に申告してほしいし、自分だけ他の人とできないっていう不平等な状態が嫌だな。一夫多妻制の国もあるし、性のパートナーが複数いることは全然良いと思うけど、誰かとの関係性を築く上で不平等は良くない。するかしないかは別としてしてもいいっていう権利を持ってたいなって思いながら見てた。結局夫婦共々不倫しててお互いさまだったけどそれでも二人で愛を誓い合った過去があるのに、約束が風化されてしまうことが悲しい。

えっちするときに、俺の好きなところはどこだ?って聞かれてなんか謎に悪の匂いって女が答えてて悪って嗅覚で感じ取れるものなんだなってじわってたら、えっちした後に急にマンションにパトカーきてなんでかわかんないけど不倫相手が逮捕されたのはめちゃくちゃわろただった。お前は警察犬か、悪の匂いがわかるんか。

 

 不倫する背景には、パートナーがもう自分を求めてくれないっていうものがあったんですけど、不倫はしちゃいけないそれは間違えないけど確かに好きな人に求めてもらえなくなるのは悲しい。でもきっといつか絶対夫婦間の性行為ってなくなるよね。おじいちゃんおばあちゃんになったら絶対しないし、それが早いか遅いかだなって思う。性行為がすっぽ抜けても、それまで築きあげてきた信頼関係とか相手への愛情とかは無くならないわけだしな。性行為は二人がお互いしたいと思ったときにできたらいい。二人の気持ちに優劣はないし、「したい」という気持ちと同じように「したくない」っていう気持ちだって尊重されるべきだけど、そこが難しいよね。不倫じゃない形で、今足りないと思っているものが満たせたらいいね。

 

 恋人でも友達でもどんな関係性だって変わり続けるけど、いつだって今あるものに目を向けて満足できる自分でありたいな。足りないものじゃなくて今あるものでどう満足するかだよね人生って。人に喜んでもらうことってその時のワンアクションでできるけど、悲しませないっていうことは継続だから難しいよね。でも大事な人との約束守りたいよね、不倫ダメ絶対。

わかる(スーパー難しい)

 

 自分の使ってる単語ベスト3を挙げるとしたら、「おなかへった」「ねたい」に続いて堂々の第1位は「わかる」だと思う。とりあえず会話の節々にわかるを挟みがち。相手の発言にリズミカルに合いの手打ってる。コミュニケーションは餅つきなのでリズムが重要...

 

 きっと現代の若者は安直に「わかる」って言いがち。おにぎりといえば紅鮭蛍光ペンの色といえば黄色、夏のアイスといえばスイカバー。コミュニケーションの相槌といえば「わかる」

 

 じゃあ、わかるってなんだろうって感じなんですけど、現代っ子なのでとりあえずぐぐる

 

 

わか‐る 【分(か)る・判る】 《五自》事実・内容・意味がはっきりとらえられるようになる。

・はっきりせずにいた事にけじめがつき、明らかになる。 「犯人が―」

・それを受け入れて扱う能力が身に付いている。 「英語が―」

・価値や細かい区別や道理を見抜く十分な理解力がある。 「音楽が―」

 

 言葉の意味でいうと、その発言の意味を理解する的な感じなのかもしれないけど、きっと私は「わかる」って言葉を私もそう思うよとか同じ気持ちだよとかそういう共感性を示すために用いてる。カウンセリングとか人間関係とかコミュニケーションとかどんな本を読んでも共感性が大事ですみたいなことは絶対に記述されている気がする。言葉は時代と共に意味も移り変わっていくけど、なんとなく今「わかる」の意味がここに記述したものをベースにうつりかわっている気がする。

 

 

 「恋人が私の気持ちをわかってくれない」とか「家族は何の私をわかってない」みたいな台詞を今までの人生で散々聞いてきた。相手ことをわかれば、相手との関係性は居心地の良いものになる。私はたぶん相手にこの人は私のことをわかってくれるって思ってもらえるような信頼関係を築きたいんだと思う。人間をわかりたい。わからせてくれ〜〜〜〜〜〜〜〜

 

じゃあ、相手はどうしたらこの人はわかってくれるって思ってもらえるんだろ〜〜〜〜って感じだ。物事は全部自己完結してたいけど、「わかる」って自分が相手をわかってるって思うんじゃなくて相手にこの人は私をわかってくれてるって思ってもらえることによって初めて成り立つものだと解釈してるから超絶難しい。例えば、「去年の夏の海綺麗だったなぁ🤔💖この頃今より細い😂😂😂戻りたい😂😂😂」〜〜ビキニ姿の自撮りを添えて〜〜みたいなことをしている女に「わかる!この頃の方が細いよね!」ってリプしたとしたらクソリプすぎてブロ削されちゃうじゃん。相手の言ってることじゃなくて相手の言って欲しいこと言うからこそこの人は私をわかってくれてるって思ってもらえるみたいなとこ少なからずあるよね。そこで死んでいく本当の自分の気持ち。相手の言って欲しいこと言うスキルとか合わせるスキルばかりを手に入れた上っ面のコミュニケーションを繰り広げて、酔えないカシオレで酔った〜〜とか適当に言って盛り上がったふりをする僕たち本当は21時に家でドラマが見たい現代っ子のみんなとりま炎に集合〜〜〜〜〜〜とりあえずいつメンのインスタの投稿写真や文章を見る前にいいねつけるあなたもきていいよ〜〜〜〜〜〜

 

 

共感性って言うコミュニケーションの円滑材使いすぎて、死んでいく自分自身、上っ面なコミュニケーション、死んでいく個性、世間的な良い人っていう仮面かぶってきちんと並んで行進するぼくたち〜〜〜〜〜〜人間、話し合いの目的って一つのゴールにたどり着くことで相手と自分の同じところ見つけて違うところは見ないふりしてわかる〜〜かわいい〜〜好き〜〜って言いがち〜〜〜〜

 

 

 

っていう文章を1ヶ月前に書いたんですけど、今はちょっと違うことも思っていて。人間結局は全部は分かり合えないし、二人で一つの答えを持つことはできない。且つ相手に合わせることは自分が相手の鏡になることで自分自身がそこにいなくなってしまう。相手は相手、私は私も大事にしたい。相手と自分の違うところがあってもそれだけで拒否するんじゃなくて一回聞いてみる。相手はこう思ってるんだな〜〜でも私はこう思ったな〜〜で完結させることも同様に大事だと思う。相手のこと全部は理解できないけど、一個一個は知っていけるし。相手のことを嫌いになったり拒否しないで知りたいとか受け入れたいって言う気持ちがある限りその人と自分の関係性は途切れないしな〜〜〜〜生きてきた環境とか経験で物事の定義が違うけど、違う幸せ夢見て目指してもぶっ倒れない自分でいたいな。自分はこう思うけど相手はそう思っているんだな〜〜っていうことをただ受け止めるだけの「わかる」も大事だな〜〜〜〜〜〜いろんなわかるを複合化させてわかるのハイブリット人間になりたいな。臨機応変大事だ〜〜〜〜!!!どんな時でも相手と自分が違うからって否定したり嫌いになったりしないで、食わず嫌いしないで全部食べてみてちゃんと体内に取り組むぞ〜〜〜〜〜〜それがきっとわかるにつながるぞ〜〜〜〜って今は思ってる!めちゃくちゃ好きな人間のことはこれからも深く掘り下げたいし、これからいろんな人に出会っていろんな人とも話をしてみたいな。知りたいって言う気持ちは、わかるに直結するはずだ〜〜〜〜〜〜さらに未知のものも一回受け入れれば抵抗がついてついて次からスムーズの受け入れられるはずだ〜〜〜〜〜〜そして広がる自分の需要の面積〜〜〜〜圧倒的ハピネス目指せあなたのおかん。そしてそれを一人一人増やして住民蓄えていつかは北海道のおかん。ウワ〜〜〜〜〜〜ちゃんと人間と繋がりたいし私も人間として人の中で生きたい。わからせて。人生の背景見せて〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

今更だけどトイ・ストーリー4の感想をきいてほしい

 ネタバレも含みます。ご理解よろしくお願い致します。

 結論から言うと、永遠の愛を誓い合ってキスしてそのままエンドロールに流れた映画の続編が二人はあっけなく別れて違う人間と付き合ってて登場人物は変わってないけど全く別物の恋愛映画を観ているような気分になった。

 

 トイストーリー1から3まで見ていて、その上で映画館で4を見たんだよね。絶対に変わらないと思っていた普遍的なものがバンバンバンバン変わっていっていって少し切なかった。二人で一つだと思ってたバスとウッディが離れ離れになるところとか、アンディーのおもちゃだって、おもちゃは子供に遊ばれるための役目を果たすことが幸せだって一貫性を持っていたウッディーが野良のおもちゃになったこととか。私の中でのトイストーリーの醍醐味はウッディとバズのいつだって困難を共にするパートナー性と、ウッディの子供に愛されるっていう使命を全うするっていうことだったんだけどその二つが見事に変化してアア〜〜〜〜〜〜人生〜〜〜〜人は変わっていく〜〜〜〜って思ったしそんなところがめちゃくちゃめちゃくちゃリアルで逆に胸に刺さったし忘れられない映画の一つになった。

 

 トイストーリー3でウッディたちはアンディーのおもちゃからボニーのおもちゃになって、アンディーがおもちゃ一つ一つを手にとってそのおもちゃのことを説明しながらボニーと遊んで大事にするって約束してくれる?ってシーンで右目がイグアスの滝で左目がナイヤガラの滝と化すほど泣いた。特にウッディは大学に連れて行こうと思うくらいアンディーにとって大事なおもちゃだった。

 

そんなわけじゃんね。でも4ではウッディはボニーに遊んでもらえないし、無くなったことすら気づいてもらえないし、今までウッディがおもちゃたちをまとめていたリーダー的存在だったのにボニーの家に元からいるおもちゃがみんなをまとめているわけで、今までのウッディと明らかに違う境遇にいたし、どんな時でも無茶をしてついてきてくれた相棒的なポジションのバズすらついてきてくれなくなって悲しかった。自分にとっての絶対的な幸せである一人の子供に愛されるっていうものが変化するのもなんだかリアルだった。とことんリアルだった。今の状況下に合わせて幸せの形は変えていった方が楽に生きていけるもんね。これでいいや。って。トイストーリーはバズとウッディの言葉にしなくても伝わる信頼関係とか助けに行くのが当たり前だった友情が全部違う形になってああやっぱりなって思った。約束ってした瞬間がピークだし、約束をする瞬間は二人ともそう思ってるだけで、気持ちなんてあっという間に変わってしまうものだし。先のことを決めてそれを淡々と続けるのなんて無理な話なんだよ。約束なんてしちゃいけないんだ。って思ってる私は、自分と約束をした相手が変わってしまってもまた自分で一からやり直せてその時そこにいた人とゆるく自分なりの幸せをまた探しに行けることが希望にも見えた。でも一緒にみていた人は、アンディーとボニーのおもちゃを大事にするって言う約束を大事にしていて、自分自身を統率できて、こうするぞって決めたことを淡々と続けられるストイックな彼らしい感想だな〜〜と思ってそれがまたよかった。今までいろんな人との言葉を大事にしてきて約束を守ってきたり守ってもらった経験があるからこそ抱く感想だと思う。

 

 だれかのおもちゃになること、また違う持ち主を探すこと、それとも幼稚園とかに行っていろんな人に可愛がってもらうこと、だれのものにもならずにいること、おもちゃの世界にもいろんな選択肢があって結局どれを選ぶかは自分だし自分がどうしたいかで人生は決まるんだなって思った。そんなところが何よりリアルで人生だなって思いました。トイストーリー4、今まであったものをひっくり返したからこそ印象に残ったし胸を打たれた。作成側もあのシナリオを作るのはきっと勇気が必要だったと思うけどそれでも伝えたい何かがあったんだろうな。おもちゃは喋らないし動かないしファンタジーの世界でも何よりリアルだった。今ある幸せの形はいつか変わる。それでもその環境で自分なりの幸せ見つけていこうな人生〜〜〜〜〜〜〜〜自分が生き続けてる限り最高であり続けられるから死ぬな生きろ〜〜〜〜〜〜〜〜私自身にも登場人物のみんなにも幸あれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

外見と内面

 

 

 自分の外見が嫌いだった。なんで嫌いなのか尋ねられても具体的な理由を説明できないけど、可愛くないことが嫌いだった。私は、かわいくない。一般的に言われてる可愛い顔でない。

 

 自分の容姿は、お父さんとお母さん、その祖先から続くものを受け継いだものだ。私の髪の毛はお父さんに似たうずまきみたいにくるくるになる。くせ毛を指でなぞるのが好きだったはずなのに、今はただのまっすぐな線だ。奥二重だってアイプチして二重にしてしまうし、薄く小さい唇だってリップライナーで、少しでも大きくグロスで厚く見えるようにしてしまう。一般的な可愛いになるためには個性は不要で、顔のパーツの黄金比的なものに近づける必要がある。可愛いに近づくほど、どんどん自分が無くなっていってしまう気がする。父や母が自分に似ているとたくさん愛でてくれた容姿を、テレビや雑誌に出ている話をしたこともない綺麗なあの人に似せていく。私は何になりたいんだろう。

 

 可愛いの獲得は戦いだ。なにかと戦ってる。自分を認めたい私自身なのか、相手に認められたい自分なのか、あの日言われたブスの一言なのかよくわからない。

 

 たぶん、容姿を気にするようになったのは高校生になってからだと思う。

 中学生までの私は、バドミントン部にのほほんと在籍し、性別問わず楽しい友達がいっぱいいて最高の学校生活を送っていた。毎日楽しかった。そんな感じでのほほんと高校に入学する。

 

 

えー、やばい文章読み直したんですけど、あなた誰ですか〜〜〜〜????病んでるぽいしなんかここからいつもの語り口に戻してもいいですか?はーい

 

とりあえず高校入るとねクラスの座席が左半分が男子で、右半分が女子って真っ二つに分けられるんですよねよ。その時点で男子と女子が違う生き物みたいななんというか、同じ檻の中に2種類の性別がおります的な感じだな〜〜って思ってたんですよ。ちょっとここからは箇条書きで失礼します〜〜

 

・容姿を気にせずのほほんと生きてきたが、男子がクラスの女子の容姿に点数をつける→普通に話してる声が聞こえる→私は最下位だった。28点。赤点だし成績1だし留年する(やばい)それが私の容姿の価値ってことにアホほど凹む。

・「ブス」の私は生きてるだけで馬鹿にされる、この顔面は人を不快にさせるという想いが強くなる→人と話せなくなる→小説が友達になり誰とも喋らずずっと本読んでた。クラスに友達いなかった。

・自分の顔が無理すぎてマスクをつけないと家の外に出られなくなる(当然体も汚い物なので長袖長ズボンで生活)

・部活引退しても食事量が増えて当時160cmで56キロとかだった(ぐぐったら標準体重)だったんだけど、細くないと醜いという価値観が芽生えダイエット開始→ご飯を食べられなくなり生理が止まる→痩せても自分の容姿が好きになれない→努力してもブスで死にたい

・ダイエットしてるとクラスの人に、可愛くないくせに少食アピールする女無理と言われてクラスでご飯食べられなくなる→昼食時間図書館で本を読む

 

そんな感じで高校生活は容姿に悩みすぎて、可愛くない自分に価値を見出せなくて人とすら話せなかったんだ〜〜実は。でもあの時の経験とか読んだ本とかも今の自分の一部だし、その経験で学べたこともたくさんあったからオールオッケーだけども。この容姿だから出会えた経験も感情も全てを愛しております〜〜〜〜辛かったことも悲しかったことも全部ありがとう〜〜って私の中のサンボマスターが歌っておりますけども〜〜〜

 

 でもやっぱり、人と関わらない生活を3年間送ってみて、ひとりで味わえる幸せって限度があるし、誰かとつながってコミュニケーションをとりたいなってすっごくすっごく思ったので、大学の二次試験が終わって受験が終了した途端アインズ行って貯めてたお小遣いで化粧品を買って、図書館でコミュニケーション術!なりたい自分になれる!みたいな本をとりあえず借りて読んだ。私にとって化粧は仮面みたいなものだし、性根はクソネガティブな影の者だから、今の自分の発言や思考はこうなりたい!と思って本から引用したもので、自分の本当の気持ちや感情をそれらに変換してから口に出したり、スマホで入力したりしている。いえーい。でもそうやって言葉にしているとそんな自分にだんだん近づけた気がするし、口にしちゃうとなんでも叶うと思う。言葉は魔法だから。

 

西加奈子さんの「きりこについて」って小説の中に「容姿は入れ物」っていう表現が出てきて、その単語をお守りに私は生きてきたんですけど、やっぱり高校生の時の出来事も本当はずっと引っかかったままで。でも自分なりの無双理論かかげてまだ舞えるまだ舞えるゆうて剣の舞しすぎてここまでやってきたわけですよ。でも最近、自分の容姿がうんとだめだなって思っちゃって鏡みてめちゃくちゃ泣いて、なんか生きてることが許せなくなっちゃって。でも悩んでても何も変わらないし結局悩みなんて自分の世界の出来事じゃないですか。だからとりあえず家から出てお店に入ってコーヒー飲みながら、海外セレブのインタビュー動画を見て自分をブチあげる。Lady Gagaさんが「自慢できる過去の出来事は?」って質問に「20代に起きた嫌な事全て」って答えてたの。嫌だはただの主観だしマイナスに捉えちゃうのは弱さでもあるけど、どんな出来事だって自分次第で強みにできちゃう気がする。いえいいえい。悲しみを悲しみのままで終わらせない超大事。ってその時は乗り切ったんですけどやっぱり悲しくなっちゃって。

 

 根が真面目なので、とりあえず痩せてみるか〜〜と思ってプールに行って必死に1時間バタ足したわけだが?暗くて冷たい水の中に潜っていると、高校の時のプール授業を思い出しちゃって。クラスのみんなは細くて色が白いのに、私だけなんだか違う生き物みたいに思えちゃって苦しくてたまらなかったことを思い出して。今息が苦しいのは、自分の息継ぎが下手だからなのか、心がいっぱいいっぱいなのかわからなかった。涙流れすぎてゴーグルの中に新たなプールを爆誕させちゃうかと思った。クロール(自分はそう思っている)しながらもう悲しくて悲しくてこのまま人魚姫にでもなって海の底に沈んだりましょか〜〜〜〜????って思った。ここは市民プールでお魚も泳いでないし、塩水っていうより塩素水だが。

 

 

 まあそんな感じで精神の闇 期間限定で20%増!みたいな感じで泳いだんですけど、泳ぎ終わって、一人でシャワー浴びてると思い浮かぶのって愛してもらった記憶なんだよね。可愛い可愛い言ってもらえたこと、そういえばあった。はっはっは。かわいい〜〜って写真撮ってもらったことあった。その人にだけは写真撮ってもらうの好きだったな。私の人生の外野は野次を飛ばしてくることもあったけど、まわりにいる親愛なる人間のみなさんは顔とかスタイルとか言葉とか声とかそんな一部一部じゃなくて私の概念を愛してくれてたな〜〜って思う。じゃあこの顔面でオッケー!!!!!!!!!!!!って強い自分に戻れた。今のままの自分で生きてていいって思えるの出会ったみんなのおかげ。何一つかけても今の私はいなかったから全部にありがとう。嬉しかったことも悲しかったことも全部ありがとう。私の人生に起こったことは全部無駄じゃないし、悲しみも幸せの伏線なのでこの調子でぐんぐん成長して自分至上の最高更新していきます〜〜〜〜よろしく卍

 

この容姿は、私以外の人間から見たら28点かもだし0点かもだけど、そんなのどっちでもいいの。誰かのブスって言葉に私はいつまでも縛られてるわけにいかないの。私の容姿は人からみてどう見えるかじゃなくて大好きなお父さんとお母さんに似てるってだけで私にとって100点だから、生まれた時点で満点取っちゃってるの。私だけじゃなくて全人類がはなまるもらって生まれきてんのよ。

 

 細い体も大きな二重まぶただって素敵だ。でも私のこのぽよぽよの体だって奥二重だって素敵だ。容姿にトレンドもこうあるべきもない。その人がその人らしく生きてることが一番素敵なんだと思う。時々リップスクラブだってするけど、私の一番の唇の美容は美しい言葉を紡ぐことなので。そういう面での美容を心がけてます。人生のスローガンはやさしいあまみです。よろしくおねがいしま〜〜す。

 

 内面とか外見とか二つに分けないで、自分の構成する要素として二つとも愛して抱きしめて生きたいな〜〜〜〜どんな私だってどんな私なのよ〜〜〜〜こうやって思えるようになったの幸せだ。全人類ありがとう〜〜〜〜愛してるよ〜〜〜〜〜〜

 

 

 〜〜〜〜〜〜ハッピーエンド〜〜〜〜〜〜〜〜